昨日このブログで「うまくなる、って何だろう」という記事を書きました。
僕はもともと「ラッパの吹き方」というブログをだいぶ前から書き続けていて、それがきっかけでこの業界に生き残れているところもあり、今も継続してトランペットのこと、音楽のこと、中でも「上達するため」のあれこれを角度を変えて発信しています。
中学生の頃、ピアノを弾くのが大好きでした。とは言っても久石譲作品のピアノソロ楽譜しか弾こうとはしておらず、いわゆるクラシックには手を出しませんでした。
正確には、やろうとはしていたけれどびっくりするくらい弾けなかったのです。
久石作品は苦労はするものの、何となく形にはできるのに対し、モーツアルトはなぜだか全然弾けない。あと例えばドビュッシーの「月の光」なんかも弾こうとは思ったのですがフラットが多くて、いちいち確認するから一向に進まない。
結局基礎的な知識や演奏力を持っていないために、太刀打ちできなかったわけです。
じゃあハノンで音階練習をしよう、楽典を学ぼう!とじっくり腰を据えて目標に向かって効率的に意味のある練習をコンスタントに...
とは、全然なりませんでした。正直そこまで頑張る気がしない。久石作品がなんとなく形になって弾けていて、もうそれで結構でした。じゃあこのレベルの弾ける曲を探して、適当に弾ける部分だけ弾ければいいかな、と。もちろん弾けない部分、できないテクニックはたくさんあって、それがフラストレーションになったり、「弾けたらかっこいいのにな」と思ってはいました。
音大受験の準備を本格的に始めた高校生より前の僕はこんな感じでした。高校生になってピアノを習い始めて、ハノンやツェルニー、バッハのインヴェンション、ソナチネやモーツアルトやベートーヴェンのソナタを弾くようになったのは音大という目標があったから。
ですから、音楽教室に来てくださる方それぞれのトランペットに対するモチベーションが違うのは十分理解しているつもりで、そこまで本気でやる気がない、というのも当然アリだ、と思っています。
趣味だし、出る音で何か深ければいいか、好きな1曲がだいたい吹ければいい、とか。トランペットの上達を目指すというよりトランペットを吹いている時間が好きなだけ、これもアリです。
ただ、講師という立場上、上達するためのレッスン、そのために必要なことを伝えて、実践してもらうように促る必要がありますから、そこに温度差を感じるようであれば恐れることなく「あ、そんなモチベーション高くないんで」と言ってもらったほうがこちらも気が楽です。
そこに対して咎めなどしません。ただ若干線引きが難しいので、「それができるようになるためには、こういう練習が必要で、それなりに時間をかけないとできなくて」という流れにはどうしてもなってしまうので、できないことはずっとできない(だから言われることが同じ)、吹ける曲とそうでない曲が出てしまう(だから諦めたり、レベルを下げる提案をする)のは覚悟の上になります。
結局僕が望むのは、トランペット、音楽に触れている時間が楽しいものであってほしいということです。長く好きでいてほしいし、ずっとトランペットを吹いてほしいです。本気な人は本気で、気楽にいきたい人は気楽にいきましょう。
荻原明(おぎわらあきら)
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