レッスンには広い世代の方がたくさんいらしています。赤ちゃんはいませんが。
小学生にも自分よりも年上の方にもレッスンに対するコンセプトは変わりませんし、多少言葉の遣い方(特にお子さんに対して)は違えども、内容は同じです。
そうした中でひとつの境界線のようなものを、うっすら感じることがあります。
それは、世代によって同じ言葉で同じことを伝えても、生徒さんの反応が異なる点。
個人的な感覚だし根拠があるわけではありませんが、およそ30代前半あたりを境いにこの境界線を感じます。
どんなことかと言うと例えば、まだ楽器のコントロールに対し明確な方法を手に入れられていない方へ「(五線内)Fの音からリップスラーでBに上がってみましょう」と伝えたとします。
すると、その境界線より上の方は「上の音へ上がってみましょう(Let)」を無意識のうちに「上の音へ上がらなければならない(Must)」と捉えてしまうようで、とにかく手段を選ばず頑張ってしまうのです。結果的に腹直筋が強く働いて前屈みになったり、マウスピースを押し付けて歯を食いばったりと、いろいろと大変な状況になります。
そうならないよう、僕はレッスンで「これは実験です。『上の音へ上がらなければならない』とは一切言っていません。実験には失敗があって当然ですから、結果だけを求めずに、その結果に達する方法を理論的に理解し、実現できるか何度でも実験してみましょう」と伝えます。
30代前半よりも若い方は、その言葉をそのまま理解して実践されることが多いのですが、上の方は、「頭でわかっていても体が(ミスしてはならないと)反応してしまう」とおっしゃる方が多い印象を持ちます。
いわばこれは「強迫観念」。そう言うと強くて怖い言葉ですが、言い方を変えれば「わかっちゃいるけどやめられない」ということです。
なぜ世代でこのような違いが現れるのか。憶測ではありますが、30代半ばよりも若い世代は「ゆとり教育」に始まる教育の改革が起きた時代です。教科書が変わり、学校と家庭との関係が変わり、先生の立場が変わった時代。
一方それまでの教育や学校は、ざっくり言えば戦後教育のキナ臭さが垣間見れる時代でした。先生は偉い。校則を守れない生徒が悪いのだから先生に怒鳴られても叩かれても仕方がない。それが当たり前にありましたし、問題にもならなかった。だから先生には逆らえない。
時代は過ぎて大人になっても「習う」という環境になった瞬間、その頃にモードチェンジしてしまうのではないか、と推測しています。
しかし吹奏楽の世界では、現在でもまだまだ昭和の産物的な指導をしている方いますよね。ミスしたら怒るとか、できないことに対して「なぜできない」と怒鳴る先生。ところで、できない人に「なぜできない」と言うのって、いつも思うのですが、歩いている人に「なぜ歩く」と問いかける謎の哲学者のようで興味深いです。「じゃあお前はなぜできる!」と問うてみたい。
これからの世代に合ったこれからの指導者が増えて欲しいし、昭和生まれの指導者はアップデートを繰り返していかないと、昭和の産物のままになってしまうので、意識しておきたいところです。僕もアップデートを繰り返し続けます。
荻原明(おぎわらあきら)
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