部活動の練習時間が短くなってきた昨今、やはり「時間が足りない」という話をよく耳にします。でもそれ、本当に時間足りていませんか?
というのも、僕は毎日のようにトランペットの個人レッスンをしていますが、そのほとんどが1時間レッスンです。
個人レッスンですから、当然1対1ではありますが、1時間レッスンをすると内容によっては生徒さんのキャパシティがオーバーしてしまうことが度々あります。もちろんその原因は僕自身にあって、伝えた情報量の多さ、広範囲における話題、関連性が感じにくい言葉の使い方などにより生徒さんを混乱させてしまったことが結構あります。申し訳ない。
言い訳がましいのですが、演奏するために必要な情報は様々なところで関係し、繋がりあっています。ですから何か一つのことを解説するとその周辺のことまで伝える必要を感じ(そのほうが理解してもらえると思うから)、それがキャパオーバーの原因になってしまうジレンマになってしまうわけです。
最近まで結構それをしてしまっていて、その反省を踏まえてできるだけ伝えたい情報を小分けにして伝える努力を現在はしています。
そうした経験から、部活動でもやはりそれは同じだと感じるわけです。
例えばトランペットパートのレッスンをしていて、1ヶ月に一回程度しか顔を出せないこともあり、ついついあれもこれも伝えてしまいたくなるのですが、それをすると、覚えきれず具体性のない充足感ばかりを得てしまう可能性が高いので、僕から伝えることは最も重要なテーマだけに絞って、あとは質問があった内容に留めるようにしています。
現状を理解(自覚)し、それをより良いものにするために必要な知識、原理、方法などを伝えて、見本(一例)を演奏で提示し、時間のある限り一緒に練習をし、あとは翌日以降に自分たちで考えて次回僕が来るまで(もしくは合奏の日まで)に何らかの進展があるよう課題にしてもらう。これだけで1回の練習としては十分だと思うのです。
しかしそれでも例えば午前中だけでも3時間。3時間ですよ。それ、ものすごい長くないですか?伝えた情報の整理も精神力も体力も、休憩を何度か挟んだとしても、もう十分すぎやしませんか?明日も明後日もみんなは部活があるんですから。
日本の社会全体がそうであるように、部活でも長い練習時間を確保したことによる満足感を得ているだけの場合が多いのです。残業している人が偉い、みたいな。
部活動で一番気になるのは、教える側が明確な課題を提示していない点です。あれダメこれダメできでないからやっておけ、じゃなくて、前述のように建設的に理解し、課題を明確にした上で各自試行錯誤を繰り返してもらった上で、少し日数を置いてその成果がどうであったか披露してもらう。そうした堅実的な積み重ねを繰り返していけば1日の練習時間が短くてもきちんとレベルやクオリティがアップしてくると思うわけです。(もちろん、定期演奏会前などで、演出や準備など演奏以外のところで必要な時間はかなり多くなってしまうと思います。それはまた別の対策や周囲への理解が必要だとは思うのですが。)
また、もうひとつ理解しておきたいのは現実的で明確な目標設定です。夏のコンクールまでにこのバンドをベルリンフィルにします、なんてことができるわけないので、じゃあどんな演奏ができるバンドにするのか、それを指導者の頭の中に明確に置くことです。
それがないから、楽譜に書かれた情報との相違点を指摘するだけだったり、チューナーと合わないピッチを単発で取り上げて高いだ低いだと言うばかりになってしまうわけで、それがまた時間の大幅な浪費に繋がっているのです。
指導とは、できないことを指摘する行為ではなく、目標に到達するために歩む道を指し示す人だと考えます。
長時間練習、必要でしょうか?
荻原明(おぎわらあきら)
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