演奏のミス、したくないですよね。
特に本番ではミスはしたくないです。
出そうとした音と違う音を出てしまったり、音にならなかったり、ピッチや音色に納得いかなかったり。トランペットに限らず、演奏をしていてミスというのは残念ながら誰にでも起こり得ることです。
では、みなさんはミスをしたとき、それをどのように捉えますか?
ミスした瞬間、多かれ少なかれショックを受けるのは誰でも同じだと思いますが、その先が重要です。
どうしようどうしようと気が動転し、我を失ってしまったり、ミスしたことをいつまでも引きずってしまったり...。気持ちはわかります。わかりますが、一旦冷静になってください。それ、もう過去のことなんです。過去のことを引きずってもなかったことになるわけでもないわけです。だから、もっと建設的に捉えたほうが得ですよね。
まず、本番の場合はミスしたことを表情や動きに出さないことです。言い訳がましく見えてしまいますし、聴く人が演奏に集中できません。そして、練習時には、特に大切なのが「記録として残しておき、フィードバックする姿勢」です。
なぜミスが起きたのだろう、考えられる可能性を挙げていき、検証するのです。このようにすると音が外れやすい、などの知識をどんどん集めていけば、再び似たような状況になった際に未然に防ぐこともできますし、そもそもそうした方法を取らないようになると思うのです。
成功した時の状態をインプットすることは大変重要ですし、みなさん積極的に行っていると思いますが、同じようにミスをした際の状態をインプットすることで、さらに多くの情報が手に入るわけです。
ミスをしたことを悔やんで、記憶から捨て去りたい気持ちはわかるのですが、それらも糧にすることで、この先どのようにすべきか方向性が、どんどん明確になっていくわけです。
ということは、吹けば吹くだけ上達する要素を手に入れることができるわけです。これは良いですね。調子が良い日も悪い日も、それら全てがステップアップの糧となるのです。もちろん捉え方次第で、ですが。
したがって、部活動などで指導者が「ノーミス!」とか叫んだり、ミスした奏者を叱責するなど言語道断。
その指導者はミスのない演奏を求めているはずなのに、奏者にプレッシャーを与えて余計ミスする可能性を高めていることに気づいていません。とても非建設的で矛盾した行為です。
ミスしたことに対して、特に演奏直後に奏者が「すいません」と謝る合奏環境もなんだかおかしいな、と思います。教育の現場においては、謝罪の方向性によっては危険な思想になりかねません。
ミスはしないほうが良いです。しかし、ミスを恐れるあまりに守りに入った自分らしさを発揮できない演奏はしたくないです。練習時のミスをフィードバック、研究し、本番では自由におおらかに表現する。その循環がミスを減らしつつも生き生きとした音楽表現につながるのではないか、と考えています。
未来に向けた演奏をしましょう。
荻原明(おぎわらあきら)
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