幼少の頃からピアノのレッスンに通っていたわけでもなく、音楽にそれほど深く関わる生活をしていなかった子どもの頃、N響が演奏したドラクエ3のCDを自分で購入し、そのブックレットの中に収録されていたファミコン音源の楽譜を目にしてから、自分で演奏したいという気持ちが高くなり、キーボード買ってもらってウンタラカンタラ、
という話を機能このブログに書きました。よろしければぜひ。
キーボードの機能にだんだん飽きてきてしまい、鍵盤のサイズが小さすぎて和音が弾けないもどかしさを持ち始めた頃、僕は中学生になっていました。その当時、ジブリ作品を自作自演している久石譲氏のピアノソロアルバムが大好きで聴きまくり、これを自分でも演奏したい!と思っていたら偶然お店で楽譜を見つけ、これはもうキーボードでは到底演奏ができないと、親におねだりして電子ピアノを無理矢理買ってもらって、独学で試行錯誤している時期がありました。
中学一年生の当時、楽譜を読むスキルは単旋律をなぞるのが限界レベルの状態。和音とかヘ音記号はほぼ無理。しかもピアノをそれまで弾いたことないわけで、当然練習方法も知らないので一体どうやって練習していたのかさっぱり覚えていないのですが、最終的には1年くらいで数曲弾けるようになっていたから自分すごい。
中学は吹奏楽でトランペットを始めた時期でもあります。でも先ほど言ったように楽譜がきちんと読めません。あまり上手ではない吹奏楽部ではありましたが、やはり吹奏楽の楽譜は難しい。ポップスなんかはリズムもわかりにくい。だから楽譜が配られるたびにオリジナル音源を探して(今のように簡単に手に入らないので大変でした)、それを聴き覚えて演奏していたような状況でした。でも楽譜をもらう瞬間って、すごい嬉しかったんですよね。
この頃僕は、楽譜に対して「自分の好きな曲を自分で演奏できる貴重なツール」といった感覚を持っていました。楽譜があれば憧れの曲が弾ける。あのCDと同じ曲が演奏できる。
「作品」がすでに存在していて、それを「楽譜」という形で手に入れた、という順番です。
何を言っているのかと言うと、楽譜のデータを再現すると、何か音楽作品が浮かび上がってくるかのような楽譜の見方をしている人が多いな、と感じるのです。楽譜通りに、楽譜に書いてあることを正しく、「4分の4拍子で1拍目が四分音符でその次が八分音符で、ソ、ラ、シのフラットで...」。
楽譜をどのように捉えているのか、これが演奏にもスキルアップにもかなり大きく影響すると考えています。僕は何度も聴いて頭の中にインプットされた「あの曲」を演奏するために楽譜を見ていたので、理屈っぽい楽譜の読み方はしていませんでした。だから楽譜のどこかの部分に目をやると、その演奏が頭の中で流れ始めるわけです。自分のパートだけでなくて、他の楽器もすべて。まあ、だから演奏は雑だったとは思いますが、でも思いっきり演奏して楽しかった記憶があります。
僕はレッスンで楽譜に縛られすぎの方に「must」や「not」の発想を持たずに自由に演奏してください。とよく言います。楽譜のルールを守らなければならない。テンポが揺れてはならない、ミスしてはならない、とか、こんなことばかり考えて音を出していても面白いはずがありません。
その楽譜を書いた作曲者だって、音符の羅列されたデータを見てもらいたくて楽譜を書いているわけではなく、頭の中に浮かんだ音楽を伝えるために楽譜という手段を用いているにすぎないわけです。
ですので、楽譜を見て演奏する際には、その作品が実際に音になった時のことを想像して、それを聴いてくださる方へ様々な想いを届けるためにどうしたら良いかを追求していくことが大切だと思います。
なんてことを、今自分のオフィシャルサイトで公開している「吹奏楽コンクール課題曲トランペットパート解説」の課題曲4に書きました。公開はもう少し先ですが、課題曲解説はすでに公開している作品もありますので、ぜひご覧ください。
荻原明(おぎわらあきら)
0コメント